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第2章 老紳士と黒服の女、インディーズバンド「Spellters」、シティー派のギャング

第2章 老紳士と黒服の女、インディーズバンド「Spellters」、シティー派のギャング

込んでいるでもない客がまばらなレストラン。煙草を吸いたかったのもありテラス席につく。注文を取りにくるのが遅かったし、ウェイトレスはぶっきらぼうだし、おまけに頼んだシーフードパスタは塩気がきつく途中であきらめた。
小雨が降ってきた。店内を見ると角に一つ空いているテーブルがあったので僕たちはその席につく。黒服の女は目の前にあるシュガーポットから角砂糖を取り出し、積み上げる。
「祖父とは小さい時分、それは数多く旅をしたわ。一番思い出深いのは甘い匂いのする花が咲いている素朴な街で、遠くの方で美しい鳥の鳴き声に聞いてみると〈ナイチンゲールだ〉って。私たちが滞在した小屋の向かいに孤児院があって、そこで一人の女の子に会ったわ。ブロンド髪の女の子でニコニコしながら私の知らない歌を口ずさんでたの。仲良くなって二人してイチジクの木の下で絵を描いたりして遊んだわ。ブロンド髪の綺麗なその子は夢中で先の尖った小石を持ってからすの絵を描いていたんだけど、私は彼女の手首にある輪っかの擦り傷が気になって…。」 角砂糖が積みあがっていく。

第2章 老紳士と黒服の女、インディーズバンド「Spellters」、シティー派のギャング

「いつも不思議だったのは旅の帰りは私一人なの。その街を離れる時祖父は言ったの、〈美しい鳴き声をする鳥は必ずしも美しい場所にいるとは限らない〉って。」

コーヒーを注文しようとウェイトレスを呼ぶ。

「ねぇ、囚われの心によって真実でないものを真実であると誤って考える事、それを何ていうか、知ってる?」

黒服の女は黙ったかと思うと貧乏ゆすりをし、僕を見るでもなく焦点の合わない目つきでまた喋り始める。机がカタカタと音を立てる。
「妄想よ。あの老いぼれじじい、私が知らないとでも思っていたのかしら。行く先々で慈善事業だといって幼い女の子を養子として連れ帰り、趣味の悪い真っ赤なドレスを着せて色々といたずらをするの。一度だけ成長したあのブロンド髪の女の子に会ったわ。目はうつろで無表情、まだあの時の歌を歌っていたわ。きっと頭がイカレたのね。じじい、女の子に飽きたら汚い親父達に紹介するのよ。最初にあなたに会った場所よ。あの一つなぎになっているバラック街のある家に暮らしているのよ。若い女達は夜は売春で稼ぎ、年老いた女達は豚と鶏を売って生活しているの。肉から骨、糞まで全部売れるからいいんだって。その中には売春によって妊娠した女もいたけど、中絶せずに産んでそのバラック街の女全員で育てるのよ。いつしかこども達の中である集団が形成されて、ギャングまがいな事をしているわ」

第2章 老紳士と黒服の女、インディーズバンド「Spellters」、シティー派のギャング

雨は本降りになり辺りは次第に暗くなる。黒服の女は涙を浮かべながら積み上げた角砂糖で築いた城を崩した。 「皮肉なものね、じじいはそのこども達に殺されたのよ。」
その後は何もしゃべらなくなった黒服の女は、机をピアノに見立てているのか、両手をしきりに動かしている。
「そうだ、あなたと出会ったあのバラッグ街に戻ってくれる?私のバンドのメンバーがその一角に住んでいるの。彼らに会いたいんだけど。」
思い立ったように立ち上がり、杖を片手にレストランを出て行く。僕はレストランで清算をし、激しく降る雨の中、駐車場へと向かう。
車に戻る頃には二人ともびしょ濡れだった。雨が激しさを増してきた。ワイパーを最大にしてもギリギリ前が見えるか見えないか。着替えといっても仕事着しかなかったし、ロングブーツと上に羽織っていたトレンチコートを脱ぎ、仕方なく裸足でアクセルを踏みゆっくりと車を走らせた。黒服の女は助手席でボストンバックからラブホテルにあったバスタオルを持ってきたらしくバスタオルを取り出し、歌まじりに髪の毛を拭いている。
「こんな事聞いていいのか、さっき君の祖父は殺されたって言ったよね。」

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「雨についての曲を作ったの。友人の舞台をバンドのメンバーと見に行った日もちょうど今日みたいな雨だったわ。」
僕の話しは聞いていないのか黒服の女は思い出したように話し出す。
「物語自体はある冴えない男がとびっきりの美女を射止めるまでのなんの面白みもない恋物語よ。途中でドラムは気分が悪くなったらしく私たちに寄りかかってきたの。ドラムを外に連れ出し、彼女の家に帰る事にしたの。舞台は『美女と野獣』を薄めたような演出だったし、最後まで見たってどうせ対した結末じゃなかったわ。とにかく外は激しい雨の中、ドラムの家に向かってたんだけど彼女、途中の細い階段で少し落ち着きを取り戻したのかそこに座り込んで口笛を吹き始めたの。階段横の下水管の音が気になったのか、階段の金属にあたる雨の音が彼女にとって一つのメロディーに聞こえたのかもしれない。そうよ、彼女は曲を作る時、いつも口笛を吹くの。」

第2章 老紳士と黒服の女、インディーズバンド「Spellters」、シティー派のギャング

「どんな音楽を作っているの?」
月並みな質問をしてしまったのか黒服の女は退屈そうに答える。
「それは作る曲によりけりね。でも歌詞を書くのは私、っていっても言葉として詩を”書く”訳じゃないて絵から詩を”描く”の。例えば『鳥』を描くんだけどそれを言葉にするとただの『鳥』じゃない?でも私は『鳥』そのものを描きたいんじゃないの。情景を描きたいのよ。詩はその連なりで生まれるものなの。って言っても解んないか。それよりあなた、これまで話した事って祖父が殺された事と全然関係ないって思ってるでしょ?《無意味と思う事も、ある物事においてそれはとても重要だ》って祖父は言ったわ…。まあ、いずれ解るわ。」 僕は黒服の女の話と運転に集中していたせいもあり煙草が無性に吸いたくなった。
「煙草吸ってもいい?」と尋ねると彼女もボストンバックから細い煙草を取り出し、銀色のジッポライターで早速火をつけている。彼女なりに気を使っていたのか?と思ったが、たぶん煙草の事を思い出しただけなのかもしれない。僕も煙草をくわえライターを探していると、黒服の女はジッポライターを差し出した。良く見るとイチジクの刻印がしている。

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「あなたって『王様はロバの耳』の穴みたいね。どんな秘密も喋りたくなるわ。」
黒服の女の耳を見てみる。少し先が尖った形をしている。ロバのそれではない。獰猛な動物に見える時もあればバンビのようにチャーミングな一面もある。心の中で叫んでみる。

−黒服の女の耳はバンビの耳!−

さっきまで空を覆っていた真っ黒な雨雲から、太陽の光が漏れる。

第2章 老紳士と黒服の女、インディーズバンド「Spellters」、シティー派のギャング

「これから会うトニーにだけは気をつけてね。すこぶるハッピーな時は気さくな奴なんだけど、機嫌が悪いとどうしようもなく暴力的になるの。いわゆる分裂症ね。それに彼はバラック街に生まれた子どもの一人なの。 しかも彼はバラックの子ども達で形成された集団のリーダーなの。その集団はね…。」

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